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天理教はやばい宗教なのか。事件や評判まとめ、また危ないと言われる危険なポイント(勧誘、修養科、お布施)に絞って解説しました …
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第1回 天理教はやばい【危ない?危険か判断する3大ポイント】
天理教がやばいと言われるには理由があります。
最近では、天理教のグループ傘下である天理教校学園高等学校が閉校するというニュースはトップニュースにも上がりました。日本でも地名に宗教団体の名前がつくほどの天理教に何が起こっているのか、やばいと揶揄される真相に迫ります。
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天理教とは
天理教とは創価学会に次いで日本で2番目に信者数を抱える新興宗教です。
信者数は最新の宗教年鑑(文化庁)によると約120万人とされていますが、実数は5,60万人だと言われています。神道系の新宗教だと思われるも、実際には神道に属さず新たな新宗教という立ち位置になります。
天理教と言えば天理市(奈良)で、日本で唯一地方都市の名前が宗教団体名と同一で有名です。たまに駅前などの街頭で宗教的な歌や踊りと共に、ドンチャン鳴り物を鳴らし、周りの信者がパンフレットを配り勧誘しているのを見た事ある人も少なくないでしょう。
天理教はやばいのか?
天理教はやばい新興宗教なのか。
一口にやばいと言っても、良い意味でも悪い意味でも当てはまるのが天理教でしょう。最近、話題になった天理教校学園高等学校の閉校するという発表したものの、閉校の真意は定かになっていません。
中堅の新興宗教団体が新規信者の獲得より、二世信者の教化教育に専念する教団が増えるなか、新興宗教の中でも比較的歴史の古い天理教では、若者の信仰離れ(宗教離れ)の影響もあるため、今後の教勢拡大を考えると死活問題です。
突然の閉校は、天理教に何かやばい事があったのではないかと噂されています。基本的に、信者にとっては天理教はやばいネタが少ない新興宗教かもしれません。
しかし、天理教の全国にある地域支部(教会)は独立採算制で、兼業は禁止され宗教活動に専念しなければいけないため、運営は個人の裁量が求められ、かなり厳しいとも言われています。こういったシワ寄せは結果として信者が負担しないと続かないため、やばい状況が表面化しにくいだけでやばい体質だと言っても良いでしょう。
天理教の事件がやばい
天理教で表立った事件はここしばらくありません。
当時、最も話題となり、やばいと言われた事件の1つが天理教の教会長の自殺です。天理教の秋季大祭前日に山名大教会( 静岡県袋井市) の部下教会である静岡県の鮎ケ瀬分教会長(伊藤辰彦)が詰所で自殺した事件です。
自殺した動機は明らかとなっていませんが、教団組織内でのトラブルが原因だったという声が上がっています。天理教の教団組織は本部をトップとして縦社会で、大きなイベントの前にはお布施(お供え)ノルマが課されます。
生活にさえ困窮している信者にこれ以上のお布施を要求できないなど、上位教会長や信者との軋轢に耐えきれなかったのが事件の原因ではないかと言われています。
天理教の評判はやばい?
天理教は良い評判が目立ちます。
一方でやばい評判として根強いのは、天理教の教会運営の二極化です。独立採算制を取るため、教会運営は教会長の手腕に左右されます。天理教は歴史もあるため、教会長は多くの場合で親から子へ受け継がれてゆきます。
やばいのは、運営が上手くいかないからと言って簡単に天理教から離れる事ができないのが宗教の特徴です。そう簡単に信仰は捨てられるものではありません。信者からの献金は天理教本部へ横流すため、末端の天理教の教会は毎月十数万の収入の中から家族を養い、教会を運営し、毎月のお供えをするという話も少なくありません。
天理教の教団組織には縦社会的な上下関係が強く残っているため、代々受け継がれる信者の評判は「陽気ぐらし」とは違いギャップがあるやばい話も散見されます。
天理教が危ない?危険なのか3つのやばいポイントを検証
天理教は危ない宗教なのか。危険だと言われるやばいポイントを3つに絞り、検証しました。
まず第一関門は勧誘、多くの新興宗教は勧誘がやばい。第二関門は修養科、共同生活をして信仰を擦り込むコミューンに近い手口がやばい。第三関門はお布施、信仰心とお布施が比例し宗教が生活の中心になるのはやばい。
天理教の勧誘はやばい?
天理教に限らず宗教でやばいのは勧誘です。
天理教の勧誘は、新興宗教でも大手教団だけあって勧誘には貫禄があります。天理教では勧誘のことを「にをいがけ」と呼んでいます。昨今で最も有名な勧誘は「こどもおぢばがえり」で、毎年夏休みの天理教信者の子供たちの恒例行事となっています。親の偏見がない限り、子供たちは宗教だと意識をしたりせず楽しめるため、勧誘のきっかけになっています。
やばい状況になってしまう特徴は、天理教のイベントだと知らず子供を参加させてしまった場合や、イベント参加後に執拗な勧誘をされた場合に距離を置いてしまうなどトラブルもあるようです。子供を宗教の勧誘に使うのもやばいですが、子供同士の関係を親が大人の事情で介入するのも同じくらいやばいでしょう。
天理教の修養科はやばい?
天理教のとっておきが修養科です。
修養科を簡単に言えば、天理教本部(おぢば)で3ヶ月ほど生活します。信者からすると信仰を深め、時には回心体験と成り得る事も少なくないようです。
一方で、信者以外からすると洗脳教育に近いやばい体験を味わえると揶揄されています。言ってしまえば、能力開発や自己啓発のような研修に近い体験を非日常的な空間で体験できるのが修養科の特徴です。同じ格好(はっぴ)を着て、同じ釜の飯を食い、規則正しい生活のもと神秘的な空間で集団生活する訳ですから、修養科が終わる頃に感動する人もいるでしょう。
言うならば、何かしらの目的を持って修養科に参加したなら、3ヶ月で「何か」を得れない方がやばいのかもしれません。修養科を進める訳ではありませんが、仮に修養科へ実際に参加して批評している人を見ると、3ヶ月の過ごし方(本人そのもの)がやばいという話になっても不思議ではありません。
天理教のお布施はやばい?
天理教のお布施はお供えと呼ばれています。
お布施がやばいと言われる理由として有名なのが、イベントや行事への参加有無に関わらずお布施をするのが一般的です。天理教では身代と呼ばれ、強要はされませんが自分の身代わりにお布施をする習慣があります。
信者へお布施を強要しないため、天理教本部や上位教会から教会長はしわ寄せが多いのか、自殺を引き起こしたやばい事件もありました。ちなみに、天理教は毎月行われる月次祭があり、お布施の相場は5000円前後(信者によって違う)のようです。
一方で、身の丈に合わないお布施を行い宗教が生活の土台ではなく、出家信者でないにも関わらず宗教が生活の中心と成り下がってしまったやばい話も散見されます。
まとめ
天理教はやばい宗教と言われる事もあります。
日本で創価学会に次ぐ規模を誇る宗教団体で、妙な新興宗教団体より遥かにマシでしょう。一方で、一部から教団内部の縦社会に不満を呟く信者も少なくありません。教団の教義やカネ問題は置いておくとしても、時代に合った合理的な組織として機能できるか、その組織づくりに今後は注目されることでしょう。
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あとがき
天理教は個人的に親しみがあります。
と言っても、子供時代に実家の隣に天理教の教会があって夕方に馴染みの音がして夕刻を感じたり、お供え物のお裾分けをたまに貰ったりする程度で、個人的にやばいと感じた事はありませんでした。
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