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教祖とは何か。教祖誕生というビートたけし作品の紹介、教祖の本当の意味、教祖様と言われる所以、英語で教祖の表現方法、教祖になるには、教祖のなり方などを解説しています。教祖に必要なたった3つの教えは、他にも共通する真理だったのです …
教祖は宗教だけのものではありません。
教祖に必要な要素は、ビジネスにもプライペートにも当てはまる事もあります。だからと言って教祖になるのは簡単かと聞かれれば、そうでもありません。今日は教祖の魅力をたっぷり紹介したいと思います。
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教祖とは
教祖とは宗教を始めた人の呼び名です。
一般的に教祖とは、慕い集まってきた信者に信仰上の導きを与え、教団を創始します。後に、超越的存在と直結することにより宗教的権威を付与され、信者からは絶対視されます。
例えば、キリスト教であればイエスキリスト、仏教であれば釈迦、イスラム教であればムハンマドが教祖です。しかし、宗教によっては教祖が誰か内部や外部など立場によって見解が異なる場合もあります。
教祖としての条件は2つで絶対的な指導者として信仰する集団の存在、新たな世界観や信仰形式を作り出した第一人者と見做されていることです。
教祖誕生
教祖誕生はビートたけしの映画です。
元は小説でしたが、1993年に公開されました。当時、新興宗教ブームだった有象無象の宗教団体の教祖たちへの痛烈な皮肉が込められ、未だに根強い人気を残す作品です。
教祖誕生が面白いのは、インチキ教祖による教団と熱心な信仰心を持つ信者との対立で、その信者が教祖となる姿は一見です。個人的にビートたけし作品が好きなのですが、邦画好きには一度は見て欲しいシュール作品です。
教祖の意味
教祖は宗教の創唱者や創始者の事です。
開祖、派祖、祖師、始祖などと呼ばれる場合もありますが、自身の教説を自分の人格を通して明らかにする事から教祖と呼ばれています。教祖の成立要件は、教える者と信じる者の両者が存在していれば良いので、最低単位で言うならば親子の親も教祖と言えます。
現代的な言い方をすれば、組織のカリスマと言っても言い換えても良いかもしれません。そのため、宗教的な教祖という言葉の代わりに教祖様という呼び方も一部にあります。
教祖様とは
教祖という言葉が宗教的な意味合いが強く、カリスマや好意を示す目上の存在を教祖様とカジュアルに表現する場合があります。
その他、単に教祖に対してより敬意を込めた呼び方として教祖様と呼ぶ場合もあります。
教祖は英語でどう表現する
教祖は英語で guru です。
他の言い回しだと、a leader of a religious や founder of a religion 、an originator などと英語で表現します。guru とは、英語ではなく正確にはサンスクリット語で英語でも使っています。仏教やヒンドゥー教などインドでは教祖や指導者を guru と呼びます。
そもそも、教祖という回りくどい表現は英語であまりせず、イエスキリストやブッダ、ムハンマドのように固有名詞で表現するのが一般的です。
教祖になるには
教祖になるにはまず教義を作る必要があります。
まず、大切な考え方として最初から完璧な教祖を目指す必要はありません。ある程度、形になってくれば信者が辻褄を合わせたり、深い意味が隠されているのか、掘り下げ成文化し始めてくれます。そのため、教祖が準備するのはまず神を生み出す事。
簡単に言えば、教祖は神をどう捉えるかをはっきりさせる必要があります。その解釈を巡ってキリスト教やイスラム教、仏教など様々な宗教では宗派が分裂してゆく程です。
例えばユダヤ教は排他的な神、イスラム教では多数の部族をまとめる必要があったため特定部族に肩入れしない神、これらのように、神が状況に応じて(自分達の都合の良いように)作られてきたと言っても過言ではありません。
神を作るというのは世界を作るのと同義で簡単な事ではないため、既存の宗教から焼き直した神を教祖が作り出しても良いでしょう。実際に伝統的な宗教と言われるキリスト教、イスラム教も始めはユダヤ教の焼き直しで、日本最大の新興宗教である創価学会も仏教(日蓮宗)の書き直しです。
そして、次に必要なのが反社会的で哲学的な教えです。宗教は幸せになるために存在するならば、教祖は現代の問題点をロジカルに捉えたカルト宗教でなくてはなりません。
一般大衆に救いを与える教祖になるためには、新興宗教は社会が抱える問題点に根ざして発生するもので自然と反社会的(カルト宗教)となってしまうのです。しかし、そこに宗教の意義(救い)があると言っても良いでしょう。
簡単に言えば、教祖の言葉は現在の世の中で提示されている価値基準で幸せになれない人に向けて、教祖が別の価値基準を提供する事で幸せにしてゆくのです。教祖が提示した「ものさし」に希望や未来が見えれば、信仰は自然と生まれ、ネタとなる奇跡や伝説(神格化)は時間はかかるものの後からついてきます。
教祖のなり方
教祖のなり方は簡単です。
教祖になるには教義や神が必要だと話しましたが、信仰の核さえ形にし、ここさえ教本化できれば教祖への道(山場)は通り過ぎたようなものです。教祖は哲学的な教義を簡単に大衆へわかるよう言い換えてゆきます。また、教祖として手っ取り早い方便が2つあります。1つは現世利益(来世利益)を謳う事、そして2つ目は偶像崇拝です。
説明するまでもありませんが、「悩みが解決した」「肩こり・腰痛などが治った」「死んだ後に極楽に行ける」など、教祖の理屈よりも結果を実感できる事が一番です。また、偶像崇拝は教祖の教える信仰を目に見える形で表しています。この見えないものを形にするという点が大きな利点で日本人にも馴染みのある信仰手法(神札・仏像など)です。
また、これはテクニック的な話になりますが、教祖のなり方と言うべきトーク術があります。それは、不安を煽る事です。人が宗教を意識するのは基本的に困った時の神頼みです。困っていない人には宗教を見向きもしません。
簡単に言えば、どんな人が聞いても困ってしまう(危機感を感じる)状況を作ってしまえば良いのです。これらはキリスト教や仏教などでも使われている手法です。教祖はまず、この落とし所をはっきりさせておく事がポイントの1つです。
不安を煽った後に必ず信者に救済を与える事で信仰が始まります。どのようにすれば救済されるのか語る事で自然に教祖への道は開かれてゆきます。
教祖に必要なたった3つの教え
教祖に必要な3つの教えがあります。
まず1つ目に教祖には真実しかないと言う事、これは正解も間違いもないと言う事です。教祖が言う事は絶対という意味ではありませんが、必ず深い意味があると言う事。言うならば、その意味を自覚してようがお構いなしにこの効果が当てはまると言う事です。
教祖の言っている事に正しいも間違いも無いのは、明確な失敗は教祖には存在しないからです。例え失敗したように見えても、後世で評価がひっくり返るなんて話は、教祖の話を挙げればキリがありません。教祖にとって大切な事は、正しいかどうかではなく、信者を幸せにできるかです。
2つ目に、教祖は反社会的であるべきだと言う事、これは教祖が見定めたテーマに関しては徹底的だと言う事が必要です。例え、カルト宗教だと揶揄されようが、そこに救いを求め、希望を感じる人がいる限り、教祖に妥協は許されません。その教祖の姿勢や行動力が自然と結果を生み出します。
そして最後3つ目に、教祖は救いを与える存在だと言う事、信者が神を信じるのではなく、神が信じさせてくれていると言う予定論が教祖にもあると意味です。簡単に言えば、教祖はは条件ではなく、無条件に人を救う、挙措の一方的な恩寵だという事を忘れてはいけないでしょう。
これら3つのテーマは教祖に限らず、親は子の教祖、上司は部下の教祖など様々な場面で使える3つの真理です。
まとめ
教祖の仕事は何か。
それは、世界をどのように解釈するのか斬新な方法を教える事です。その世界観は十人十色で、アートの世界のように人の幸せは色々あります。教祖のデザインに惹かれ、共感し、新たな宗教が生まれるのです。そこに正解はないのですから。
あとがき
教祖の役割は選択肢を与える事でしょう。
不自由を感じ、今の自分に幸せを感じない多くの人は選択肢を自ら作る事が苦手です。そのため、教祖が必要とされるのです。全ては与える事から始まるのです、とは言い得て妙ではありませんか。
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