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お遍路には意味があります。四国お遍路の意味を始め、輪袈裟の色の意味や八十八ヶ所で唱えるお経の意味、お遍路では白装束を正装とする意味などを解説しました …
お遍路さんの特集はこちらの目次よりどうぞ。↓
第3回 お遍路の意味【完全解説保存版】
第4回 お遍路とは日本三大巡礼の1つ【人生で一度は訪れたい聖地】
お遍路には様々な意味があります。
今でこそ観光など気軽に行けるようなツアーも沢山ありますが、本来は決死の覚悟を決め臨む修行だったのです。
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お遍路とは
お遍路は四国遍路とも呼ばれ、仏教の真言宗で行われる修行の1つです。
始まりは空海(弘法大師)が四国八十八ヶ所の寺院を礼拝し修行したことで、修行僧や修験道が跡を追う形となり時代と共に一般化しました。お遍路を行う人を四国では親しみを込めてお遍路さんとも呼び、日本国内外からお遍路に集う人たちのおもてなし(お接待)を行なっています。
お遍路の意味
お遍路には3つの意味があると言われています。
まず、生きている人が亡くなった人に対して行う追善供養、自らが生前に、あらかじめ死後の冥福を祈る予修供養、自分探しなどの修行です。宗教的な意味合いを除けば、パワースポットや歴史巡りなどの観光という意味で訪れる人も少なくありません。
お遍路には様々な意味を持っているのは仏教独特の価値観と言っても良いでしょう。仏教の教えであるお経を1つに絞らず、8万4千あると言われるのと同じようにお遍路の意味は多種多様であって良いのでしょう。
お遍路で白装束の意味
お遍路で白装束を纏う意味があります。
本来、白装束は死装束とも呼ばれ、仏教様式の葬儀には決まって白装束を着用します。加えて、仏教にまつわる修行の多くは白装束が正装とされています。
お遍路で使う白装束は白衣(びゃくえ)と呼ばれますが、他の仏教宗派の修行と同じような意味があります。それはお遍路の道中でいつ死んでも構わぬよう白装束を着用したようです。本来のお遍路は歩きによってのみ行うため、約1400kmの道中で行き倒れてもおかしくなかったのです。
その他にも仏教では五色と言って如来の精神や智慧を5つの色で表します。白色は、如来の仏歯の色で、清らかな心で諸々の悪業や煩悩の苦しみを清める、清浄(しょうじょう)を表すとも言われています。
その他にも、白色は法界体性智(ほうかいたいしょうち)と呼ばれ物事の本質を明らかにし、統合させる絶対なる智慧という意味もあります。
お遍路で使う輪袈裟の色の意味
お遍路では輪袈裟や半袈裟を使います。
輪袈裟は、お遍路の時に首にかける袈裟(けさ)の一種です。幅が6センチぐらいで、輪のように首にかけ、胸に垂らします。半袈裟とは輪袈裟を簡略化した袈裟です。袈裟は法衣(ほうえ)とも呼ばれ、インドでは出家僧侶が財産になるような私有物を持つ事は禁じられていたため、死体置き場におかれた死者の衣服など価値のない端布を拾い集め綴り合せて身を覆う布を作った事が始まりです。
その後、日本に伝来する過程で装飾などが加わり僧侶を表す装飾的な衣装となったのです。お遍路で使う輪袈裟の色にも意味があり、お坊さんの階級によって色が違うのが特徴です。真言宗では、緋色、紫、萌黄、黄、浅黄の順番に袈裟の色が決まっていて、宗派を問わず緋色と紫色の袈裟を上位に定めています。
輪袈裟をつける意味は、それを身につけることで、お釈迦さまの弟子であることを証明し、輪袈裟を身につけると功徳があると言われます。それはこの輪袈裟がお釈迦さまを始め、代々の修行者が身に着けてきたものであり、その姿を見た人々はその人をお釈迦さまの弟子として 敬ってきたからという意味もあるようです。
お遍路で使う金剛杖の意味
お遍路では金剛杖を使います。
金剛杖は、へんろ杖として、特に遍路ころがしと呼ばれるような険しい山野を歩くときにも、雨風を凌ぎながら悪路で身体がよろけた時にも助けてくれ、野犬やマムシを追い払うためにもとても役に立ちます。
しかし、実はこの金剛杖には宗教的な意味があり、お遍路の道中に一番身近な金剛杖が、弘法大師の化身としての役割を持つと言われています。金剛杖を持って巡拝する意味は、弘法大師とともに歩くことであり、お遍路では同行二人とも呼ばれています。
金剛杖は、杉やヒノキの白木で、上部は4ヶ所に切り込みが入っていて、「地・水・火・風・空」の梵字が書き込んであります。卒塔婆とは、細長い板に戒名などの文字を書き、亡くなった方の供養に用いるために、墓石の後ろに立てられます。
お遍路で金剛杖を使う理由は、当時は決死の覚悟で臨む厳しい修行だった事が伺えます。
お遍路のお経の意味
お遍路のお経には意味があります。
お遍路では真言宗のお経を唱えます。基本的にお遍路でお経を読む意味はお経を読むことでお経を奉納するという意味があります、これを納経(のうきょう))と呼びます。ここでは実際に四国八十八ヶ所で礼拝する時の手順も含め紹介しておきます。
- 合掌礼拝(がっしょうらいはい)
- 開経偈(かいぎょうげ)
- 懺悔文(ざんげもん)
- 三帰(さんき)
- 三竟(さんきょう)
- 十善戒(じゅうぜんかい)
- 発菩提心真言(ほつぼだいしんしんごん)
- 三摩耶戒真言(さんまやかいしんごん)
- 般若心経(はんにゃしんぎょう)
- 御本尊御真言 (ごほんぞんごしんごん)
- 光明真言(こうみょうしんごん)
- 御宝号(ごうほうごう)
- 回向文(えこうもん)
合掌礼拝の意味
口をすすぎ両手を清めて仏前にお燈明とお線香をあげ、姿勢を正して正座し、心をおだやかにして合唱礼拝します。読経は「緩ならず急ならず、低からず高からず」と表現される事も多く中庸の声を出して淡々と唱えます。経文の「頭」は頭を出す人のみ、「唱」のことで大勢一斉に唱えます。
開経偈の意味
尊くも有難い仏さまの教えに遭うことは難しいのに、今ここに、その経典に遭うことができました。願うことは、仏様の説かれた覚りの真実を自身に体得することだと言われています。
懺悔文の意味
自分の過去の罪過はみな貪りの心、そねみの心、無智なる心より造ったものであり、自分の身体と言葉と心より生じたものと考え、仏様の前で懺悔反省します。
三帰の意味
三帰とは、三帰依を略した言葉です。その三とは、三宝を意味します。三宝とは、仏陀と仏法と僧伽の、「三つの優れたもの」を指します。仏陀を師とし、法を薬とし、僧伽を友であるとの思いを起こして、帰依します。
三竟の意味
三竟の「竟」は終わる、極まる、尽きる、ついに、という意味があり、仏、法、僧に帰依し終わり、仏の法の修行をいつまでも続け、信仰を守ります。自分が「三宝に帰依し竟った」ことを表明し、確認する意味となります。三帰の念押しという意味と考えていいでしょう。
十善戒の意味
仏弟子である自分はいつまでも仏の十善戒(身三、口四、意三の戒)を守ってゆくとの意味があります。
十善戒は下記に一覧を抜粋しておきます。
- 不殺生(ふせっしょう)むやみに生き物を傷つけない
- 不偸盗(ふちゅうとう)ものを盗まない
- 不邪婬(ふじゃいん)男女の道を乱さない
- 不妄語(ふもうご)うそをつかない
- 不綺語(ふきご)無意味なおしゃべりをしない
- 不悪口(ふあっく)乱暴なことばを使わない
- 不両舌(ふりょうぜつ)筋の通らないことを言わない
- 不慳貪(ふけんどん)欲深いことをしない
- 不瞋恚(ふしんに)耐え忍んで怒らない
- 不邪見(ふじゃけん)まちがった考え方をしない
発菩提心真言の意味
悟りを求める心を起こす、仏道を歩もうと決意することです。
三摩耶戒真言の意味
仏様のいのちと三位一体の即身成仏の道を歩みます。さんまやとは三位のことであって一つ成るという意味。さとばんは自分と本尊が一つに成って、自ら仏に成るという強い誓いの心を表しています。
般若心経の意味
般若心経はは仏教の「空」の思想を説いた経典です。あらゆるものに自性はなく、変化を続けることが存在の本質だという意味です。そのため、物事や思想にとらわれて、苦しむことのないよう説くものだと言い換えても良いでしょう。
御本尊御真言の意味
その寺で奉られている仏様の真言を読み上げます。八十八ヶ所の寺院によって異なります。
光明真言の意味
真実不虚なる毘盧遮那仏よ、その五色光によって、恵みと慈悲と光明を与えて迷いを転じて覚りに導きたまえという意味です。過去の罪や一切の罪障を除滅すると言っても良いでしょう。
光明真言の意味
御宝号 は宗派によって文言が変わります。お遍路では南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)と唱えます。大師とは弘法大師(空海)を、遍照金剛とは大日如来を意味します。弘法大師と大日如来に帰依(深く信じる)することを意味すると言われています。
回向文の意味
仏様の功徳力を多くの人びとに及ぼしめ、自分たちと他の大衆がともどもに仏道を成就することを願います。
まとめ
お遍路の意味は実用的な意味合いを除けば、宗教的な意味合いが忘れられてしまいがちです。
その極地が気軽に参加できるバスツアーのスタンプラリーです。色んな事が便利になった現代で、本来のお遍路では気づく事のできる意味を味わえないまま、お遍路を終えてしまう事もあります。便利さと共に失ってしまった何かは意識をしないと手の平から無意識の内に溢れてしまうものです。
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あとがき
お遍路の道中には色んな気づきがあります。
ふとした気づきで、こんな意味があったんだと驚く事も少なくないでしょう。大切なのは、ほんの小さな「気づき」なのかもしれません。その気づきによって自分なりに意味をつけてしまえば良いのかもしれませんね。
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