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この記事はえらてんチャンネルのYouTubeの内容を文字起こした記事になります。こちらの記事で紹介した動画は、記事の最後にリンクしています。個人的に大好きなYouTubeチャンネルの1つで、歯に衣着せぬ物言いがたまりません。動画を見るほど時間が無い人はこちらの記事が役に立ちます。えらてんチャンネルで他に文字起こした記事はこちらのカテゴリーよりご覧ください。
宗教.jpでもエホバの証人の特集を組みました、興味ある方はどうぞ。↓
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毎度おなじみ島田先生にお越しいただきましたけれども、エホバの証人というね、物見の塔という別名もありますけれども、時々家にトントンって来て聖書の話永久にされたりとか、輸血の禁止とか剣道禁止とか法学部の生徒とかだと大分馴染みのあるんじゃないかなと思いますけども、信教の自由と身体の安全を周りが守る義務みたいな、子供の人権とかそういう事も関連して、結構社会と軋轢のある団体ではあると思うんですけど、わたし自身だと解説しきらないので島田先生にお越しいただいて解説していただきたいと思います。
目次はこちら
エホバの証人の歴史
エホバの証人って歴史的にはどういう?
これはアメリカに生まれたキリスト教系の新宗教です。
アメリカ名があるわけですか?英語では。
エホバの証人のもとになってる、誰だっけ…Jehovah’s Witnesses
なるほど、エホバの目撃か。
WatchToworっていう雑誌を出していたんで、これがものみの塔という風になります。
訳されているわけですね。
アメリカで一定の勢力っていうのを持っているわけですけれども、日本にも戦前から実は入ってるんですね。その頃は灯台社って言ったんですよ。これはアメリカに行ったような人がその信仰を日本に持ってきたんですけど、事件っていうかを起こしているんですよね。それは何かっていうと兵役拒否なんですよ。
戦わないと。
エホバの証人と社会
エホバの証人の信仰の中には兵役にはつかないっていう考え方があるから、それに従って日本でも徴兵されたのに兵役を拒否したっていう信者がいたんですね。それによって事件になって捕まったりとか、そういう事が起こって、結構戦前では大きな事件。私の義理の叔父の稲垣真美っていう人が居るんですけど、その人は昔岩波新書で「兵役を拒否した日本人」っていうのを書いてるんですよ。その中に詳しく取り上げられていますね。それが戦後の、大分変わって日本で活動展開するようになって、有名になったのは輸血拒否ですね。聖書の独自の解釈なんですよ。血を食べてはならないって書いてある部分を、輸血をしてはならないっていう風に解釈して。
血を食べてはならないっていうのが原文なんですね。
それで、子供が輸血を拒否したことによって亡くなるっていう事件が起こって、そこからエホバの証人の事っていうのが色々社会で取り沙汰されるようになったと。そういう経緯がありますね。
柔道の拒否とかありましたよね。
そうですね、武術を拒否するっていうのもありますね。これに関しては裁判に訴えて、結局のところはエホバの証人の信者側の主張が認められて、
私もその判決読みましたけども、絶対柔道やらないっていうのは他の柔道に準ずるものでもいいわけだし、柔道のレポートを書かせるとかでもいいわけだから、絶対柔道やらせるっていうのは憲法違反だと。これは確かにその通りだなと。
これ退学になってましたからね。だから非常に不利益があるということでそういう形になってると。ただエホバの証人の問題っていうのは学校とか病院で大きな問題になってくるので色々そういう面での研究っていうのを一般社会で行われているんですよね。だからエホバの証人の人が来たら、じゃあ輸血の問題はどうするのかとか、それに代わる手段を取るとか、学校でもそうですね。そういうことをかなり社会の側でやるようになってるという事はありますね。
結構そういう事あるとなんでもかんでもこの社会に生きてるわけだから合わせろよみたいな主張もあるんですけども、私自身はそうは思わないというか、無理なく合わせられるなら合わせてあげればいいじゃないという風に思うわけですね。イスラム教徒の子供とか来るから給食のあるある問題とかありますけど、日本に来てるんだから日本の文化である豚肉も食えよみたいな、別に何を食うか、別に豚肉を食わなくてもどければいいだけだから、それくらいはやってくのが多文化共生っていうもんじゃないかなと思ってそういう文脈でいうとエホバの証人っていうのも気の毒だなという風に思う所もあります。
だから今後の影響力としてもそういうイスラムでなんか問題が起こって来た時にエホバの事が非常に重要な意味を持ってくる可能性がありますよね。
エホバの証人は独自に聖書を解釈した
家庭伝導っていうのをエホバはずっとやってきたんで、これで一般の人たちはエホバというものを認識したんじゃないですかね。
家に来て宗教の勧誘をされること。
そうですね、聖書の勉強をしませんかってよく、今でもやってますけど来るわけですよ。それで話をしてみると彼ら流の聖書の解釈っていうのをやって、今のような状態だと世の中はダメだと、何とか信仰によってそれを変えていかなきゃいけないっていうようなことを延々と説かれるわけですね。
僕来た宗教勧誘全部話聞くようにしてるんで、エホバの証人も2、3回来たことがあるんですけど、優しそうな方が多いなというか、理知的に話せる方が多いなという印象はありました。
学歴は高いんじゃないですかね。
私は聖書についてこう思うけどどうかみたいなことを言うと、一応誠実に返してくれるというか、そういうような印象がありました。聖書の独自解釈だと私も思いますので、教義自体というか、宗教団体自体にはそんなに魅力を感じることは無かったんですけども。
マイケルジャクソンが宗教勧誘
アメリカでは有名なマイケルジャクソンっていう人が、母親がエホバの証人だったんですね。エホバの証人の母親ですから、子供も家庭伝導に行くわけですよ。だからそのマイケルジャクソンが家の前に立ってて、エホバですっていう形で来たと言う経験をした人たちもいるんですよ。ビックリですよね。
これ村上春樹の小説に1Q84っていうのがありますけれども、エホバの証人を恐らくモデルにした主人公でしたけれども、子供にとってはそれが結構傷になる場合もあるという事で、やっぱり冷たくあしらわれることが圧倒的に多いでしょうから、確信を持った大人であれば、信仰の伝導上の試練みたいな風にして耐えられるところもあるけど、子供と一緒に連れて行くと、子供がいれば場が和らぐって事で使われてる子供という事で子供に対してダメージは無視できないものもあると思いますし、難しいですね。信仰の自由と子供の人権みたいな話は。
エホバと子供ってことで言うと、体罰の問題があるんですね。エホバの証人の中では、鞭を使うっていうか、子供をそういう形で躾けるっていう事を奨励してるんですよね。
体罰奨励なんですか。意外ですね、それは兵役拒否とか非暴力的なあると矛盾するように思いますが。
だから子供対しては躾けるために体罰のようなことをすると、それはかまわないというかした方が良いと言う考え方を取っているので、それが一つ問題になっていますよね。
エホバの証人の現在
現在信者数ってどれくらいになるんでしょうか。
10何万っていうふうにたぶん公表では言ってるんだと思うんですけど、数万人じゃないですかね。多分都市部に多いと思いますね。田舎にはあんまりない、そういう宗教だと思います。エホバの証人も大分定着してきているし、伝導の仕方も家庭伝導から街頭に変わってますよね。だからある種の社会的な適応っていうのを目指しているんじゃないですかね。あんまりトラブルが起きない方向に持って行こうとしている気はしますよね。
するとやっぱり社会から見えない家庭の部分というかが課題になってくるかもしれませんね。
そこが問題だと思いますね。親がエホバの証人っていう人たちがどうなのか。
色々インタビュー…、もしエホバの証人の親でこういう思いしました、そういう事あったらコメントとか頂けると私とても参考になります。もしインタビュー受けて頂ける方とかいらっしゃったら是非宜しくお願いいたします。勧誘が激しい宗教っていうのは私はどちらかというと好感を持ってまして、なぜならそれだけ自分の信仰が正しいと思っているから勧誘するんだろうという事で一般的には好感を持ってます。顕正会とかにしてもそうですけど、そういう意味で置いては。顕正会と比してエホバの証人は話がまともというか、話せばわかる人が多い。
話せばわかりますかね?(笑)
エホバの証人に入らないとしても、入らない人が一定数いるっていうのはしょうがない、それからどうするかっていうような話ができる集団だという風に思っています。
えらてんのエホバの証人の印象
兵役の拒否とかっていうのは一定の合理性があると思います。
ただ子供についてというのが非常に軽視されているような気がするというか、聖書とかに立脚するんであれば、子供をこう扱うっていうのは宗教的に決まっているんだっていう主張もわかります。
けれど、暴力とかはね流石に時代に合わなくなっていくので、子供の人権っていうのが叫ばれてる世の中の流れがある中で、それとの折り合いっていうのが今後付けざるを得なくなっていくだろうということです。
エホバの証人の子供たちについては可哀想ですねという事と、逃げてもいいっすよっていうか。信仰が傷になるような話というのはあってほしくないなという風に思いました。
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