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この記事はえらてんチャンネルのYouTubeの内容を文字起こした記事になります。こちらの記事で紹介した動画は、記事の最後にリンクしています。個人的に大好きなYouTubeチャンネルの1つで、歯に衣着せぬ物言いがたまりません。動画を見るほど時間が無い人はこちらの記事が役に立ちます。えらてんチャンネルで他に文字起こした記事はこちらのカテゴリーよりご覧ください。
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今回はまた中田孝先生にお越しいただきまして、中田先生は同志社大学でイスラム学を長い間専攻されて教鞭も取っていらしたという事でイスラム教の専門家です。
今回ネット有名人が炎上したときに、あいつはクルアーンを燃やしてたみたいな風にして恐らくコーランを燃やすということがイスラム教徒の感情を逆立てるので、あいつは嫌な奴だからイスラム教徒の敵にしてやろうみたいな風にしてやる動きがあるんですよ。そのことについてどう思うかを聞いていきたいと思います。
目次はこちら
コーラン(クルアーン)を燃やす件について
大体そういう動きだと思ってなかったと思うんですけど、
全然知らなかった。
そういう悪いことをした人とかが、その人の顔画像切り抜いてクルアーンにマッチをつけて燃やしてるみたいな。クルアーンを元々侮辱するみたいな流れがある中で、それをするとイスラム教徒が怒るんだみたいなので、世界中に敵を作ってやろうみたいな感じで悪ふざけだと思うんですけれども、コーランを燃やすって事っていうのがイスラム教徒にとってどういう意味を持つかみたいな事を教えて頂けますか?
厳密な話をすると、預言者ムハンマドが生きてた頃のクルアーンって皆さんが思っているようなものは無かったんです。
といいますと?
元々預言者ムハンマドっていうのは字が読めない、文盲なんですよね。なので元々口伝えで、天使から授かった物を彼が口伝えに読んで、それを人々が聞いて覚えてたものなんです。
要するに口伝だったということですね。
一応覚え書き程度にメモっていうのは残ってはいたんですけれども、基本的にはクルアーンっていうのは無かったし、本としてなかったんですね。それはあとで受け継がれますので、書かれたクルアーンっていうのはどう扱うかっていうのは実は厳密には伝承はないんですよ。
どうしたら悪いとかっていうのはないと。
ないですね。ただし、やはりですね、クルアーンの書かれたものは大切なものであるので、大切にしなさいっていう一般規定はあるんです。
あとの学者の規定ということですね。
燃やすのがいい事か悪い事かわかんないんですけど、でもやっぱり基本的には悪いとされてるんですね。じゃあどうすればいいかっていうんで実はすごく大変なんですね。
確かに一般にクルアーンを、例えば読めなくなっちゃう程ボロボロなクルアーンをどうするかっていうのは。イスラム教徒だってクルアーンを新しくしたりするわけですもんね。
たくさんあるわけですね。なんですけれども実はこれも決まってないんですね。
どうするか決まってないと。
コーランの処分方法に対する問題
これ実はね面白いんですけども、ユダヤ教のトーラーに関してもそういう記載があって、
ユダヤ教のトーラーですね。
旧約聖書ですね。
あれは巻物なんですけども、それは大切にしないといけないので捨てちゃいけないので、瓶に入れて閉まってしまうんです。
燃やしたりもしない。瓶に入れて保管すると。
これはゲニザ文書って言って、そういうのが残ってて、イスラムに関してはそういう規定が厳密には決まってないんですね。
コーランを燃やすかどうかっていうのも、そもそもどういう処分をしていいのかもわかんない。
実は我々も困ってるんですよね。昔はそもそもクルアーン自体が手書きだったので貴重だったので、それにしてもそんな問題は起きなかったんだけど、今は山のように印刷されて配ってるもので、どうすればいいのかっていう問題はあるんですが、例えば中世の法学書読んでもトイレに捨てるとか、これは明らかにどう考えたって侮辱してることなんでね、それは背教者とみなされて。そもそも異教徒にクルアーンを渡すって事自体考えられなかったんですね、昔はね。
今は新規勧誘している団体も一部はあるけれども、昔で言ったらそもそもコーランをイスラム教徒以外にあげるなんてことはありえなかった?
有り得なかったんです。
読めるなんてこともあり得なかったと。
それもなかったんですね。なのでそういう問題が生じなかったんですけども、その時にどうすればいいのかっていうのは新しい問題なんですけど、ただやっぱり感情的にやはり大切なものを燃やしたって事で怒るっていう、それは誰でも起こりますけども、あんまり教義の問題って考えずに、普通の人間の反応として考えてもらえばいいと思います。
自分が大切しているものを燃やされたらどう思うか、あるいはトイレに落とされたらどう思うかとか、あるいは埋められたらどう思うか。それは人々の時代の宗教感情にも関係してくるわけだ。だから決まった規定はないわけだ。大体一般的にはどうしてるんですか?アラブ世界においては。
古くなったクルアーンは多分裁断してるとかだと思うんだけどね。あんまり、捨てるのは抵抗感あると思うので捨てないと思うんだけどね。
一般的にコーランの処分はどうするのか
中田先生ならどうしてましたか?
私はあげたりすることが多いですね。
新規の改宗者とかにあげたりしていると。
あと、本当は預言者の時点でクルアーンはなかったので、紙に一部を書いたりして、その紙をどうするかって問題はあったわけですよね。
そのメモ書きというか。
そうそう。それに触っちゃいけないとかはあったので、逆に言うと、例えばクルアーンの一節が書いてある新聞なんかいくらでもあるわけですよ。あるいはクルアーンの一部でいえば、アッラーっていう名前ですよね。それ自体が大切なものですから、それを実は粗末に扱うっていうのは本来許されないんですよ。
新聞とかもそうですよね。
ところがアッラーというの名前は固有名詞でいくらでも出てるんです。そういう例えば名札とかも全部触っちゃいけなくなってしまうんです。結局どうしようもないんで普通に捨ててる訳なんですけど。新聞紙とかもそれに焼き芋包んで売ったりしてますからね。
なかなか面白い話になってきますね。イスラム教では燃やしてはいけないというのは多分ない。教義的な問題でなくて、どういうような感情でやってるかとか、侮辱してるのかどうかとか、そういうような人々がどういう感情を起こすかというようなレベルの話だという事ですね。中田先生は今コーランを処分する場合にはどうやってやると思いますか?どうやるのが一番いいと思いますか?
やっぱり裁断するのが良いと思うけどね。これ実はねもっと面白い話もあって、紙ならともかく、電子書籍で、それをクリックしてゴミ箱に入れるのは許されるのかとかそう言う話もあってですね。
かなり現代的な…。そもそも中世とかだったらコーランを敵対組織とかが持ってる事自体があり得なかったから、現在ヒカルさんがなんとかしたとか、燃やしてるように見せるだとか、そう言うこと自体がそもそもなかった問題だから、現代的な問題になってるんですね。あまり深い問題ではないと思うんですが、いろんな派生があって面白い話だなという風に思いました。
だからイスラムを勉強しなきゃいけないっていうのはあるんですけど、なんでもイスラムで考えてイスラムに原因付けるのも間違ってて、今のように普通に常識で考えた方がわかることとかたくさんありますから。
日本でコーランを燃やしている人の危険性
実際にクルアーンを燃やしたりっていうのをYouTubeにアップしたりっていう馬鹿っぽい人もいるわけですが、そう言う人っていうのはどういうような目に遭う可能性がありますか?
日本の場合はイスラム教徒って外国人なので、外国の顔をしてるってはっきりわかるので完全に動くとすればそう言う人たちなので、そう言う人たちから襲われるっていう可能性もあるかもしれませんけど、それも日本だったら有り得ないですね。日本とイスラムは非常にそういうことを警戒してますので、自分たちが迫害されることを。
日本では日本の法律を守ってるということを逆に気を付けているということですね。なるほど、日本では危険な目に遭うことはないと思いますけれども、人が大切にしているものを粗末に扱うのは一般的にやめましょうと。
そういうことですね。
じゃあ今日はお話を聞かせて頂きありがとうございました。
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