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宗教.jpでも立正佼成会の特集を組みました、興味ある方はどうぞ。↓
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今日もですね、宗教学者の島田裕巳先生にお越しいただいて、今日は立正佼成会の事について教えて頂けるという事で、立正佼成会について喋ってくれっていうコメントはいっぱい来てるんですけども、正直私立正佼成会全然知らなくて、どうしたもんかなと思ってたら島田先生が宗教学者なので、色々沿革とか教えて頂けますでしょうか。宜しくお願いします。
目次はこちら
立正佼成会
立正佼成会っていうのは杉並区の和田というところに本部があるんですけど、私は和田小学校から和田中学校に進んだという、地元なんです。で、立正佼成会の中心の建物は大聖堂というやつで、その大聖堂という建物が建って行くのを小学校の窓から見ながら育った。
完成したのが丁度1964年の事ですね。小学校私は5年生だったんですけど、とにかくずっといつできるのか、いつできるのかっていう感じでかなりの時間がかかって、しかも形が円形の建物で上にインドにあるような仏教の塔が沢山建ってて、建物は全部ピンク色っていう非常に奇抜な建物だったんですけど、それが完成すると全国各地から立正佼成会の信者の人たちが、団参っていうのに来るんですね。
バスに乗って来て、団参会館っていう宿泊施設もあってそこに泊まって大聖堂に行くっていうそういうのが大量にその頃行われていたんです。だからこれ創価学会と一緒なんですけど、高度経済成長の時代に急成長した教団の一つということで、教義は創価学会と一緒に法華系日蓮系っていうもので、法華経がベースになってるんですけど、創価学会みたいに非常に攻撃的じゃなくて穏健なんですね。
特に法座っていうのをやるんですけれど、信者の人たちが集まって来て車座になってその中に支部長とかそう言う人もいて、そう言う人に対して新しく入ってきた人たちが悩みを訴えると。そうするとそれに対して色んな意見とか教えとか、そういうものが伝えられるっていうのが法座なんですね。立正佼成会の教祖っていうのは、もともと霊友会の信者だったんですね。
霊友会っていうもともとあった宗教の信者だったと。
その霊友会のやり方をまるごと持ってくるんですけれど、法座っていうのも霊友会の中にあって、法座による人生相談的なものと、先祖供養ですね。先祖崇拝っていうのは日本の宗教の基本にもなるんですけれど、普通の家だと先祖っていうと父方の先祖ですよね大体。
立正佼成会は父方母方両方の先祖を平等に祀るっていうやり方を取ったんですね。これがね都会的。だから地方から出てきて都会で家を持った人たちって、先祖の家じゃないじゃないですか。そういう所で自分たちの先祖っていうと、これは父方母方、両方ともやっぱり祀らなきゃいけないということで、そう言うやり方が非常にウケた。
だから創価学会の場合は法華経の中の非常に攻撃的な部分を取り入れて、折伏っていって信者をとにかく増やしていくっていう事が中心だったんですけど、立正佼成会の場合はそういう風に人生相談的なものと、先祖供養を中心に出来上がっていったと、そう言う宗教ですね。
立正佼成会の教祖
教祖はどういう方だったんでしょうか。
庭野さんという方で、もともと法華経に非常に関心を持って、その庭野さんという方が長沼妙佼という女性とペアを組んで、それで活動を始めたんですね。
いつ頃の事でしょうか。
これはもう戦前からですね。戦前から戦後にかけてっていうことになるんですけど、長沼妙佼さんという人は霊的な能力というものを持っているとされていて、その人の霊的な、霊感に従った指導みたいなものが、これもまた信者を集める一つの大きな要因になった。
もともと霊友会の文化を継いだ庭野さんが、女性と二人で始めた宗教であって、ベースは日蓮宗法華経系なんだけれどもそこで先祖崇拝とか、あるいは長沼さんという人の霊感というか、霊能力というところで信者を増やしていった。特に行動経済成長で広がった団体であるということですね。
だから東の方では創価学会と立正佼成会っていうのが二大勢力。関西の方に行くと創価学会と天理教とかPL教団という風になるんですけど、唯一東の方で創価学会とある種対抗できたのは立正佼成会だけ。
立正佼成会はモダンな新興宗教
東京的な新宗教ということになるんでしょうか。
そうですね。凄くモダンなんですよ。建物もすごくそういう風にモダンだし、祀ってる仏像なんかも非常に現代的なそういう仏像を祀ってるので。有名なのは最近取り壊しが決定した普門館という建物があるんですけど、普門っていうのはこれは法華経の中に普門品というのがあって、一つの章なんですよ。そこに由来してるのが普門館。
この普門館っていうのは一時、吹奏楽の全国コンクールが行われていたので、吹奏楽の甲子園っていう風にその時代呼ばれていた、非常に大きな建物で、しかも宗教施設なので、どうも立正佼成会は無料で提供してたらしいんです。それでみんなが憧れの地っていうことになってた。
有名なクラシックの指揮者にカラヤンっていう人がいましたけど、そのカラヤンもその普門館で確か3回公演をしてるんですね。そういうことで有名になった建物ですが、やっぱり老朽化してしまって、43年経ってますからね。それで耐震工事をするには莫大なお金がかかるということで、結局それを断念してこれから解体されることになってるんですね。
ちょっとそこに象徴されるように、立正佼成会の勢いっていうのも高度経済成長の時には物凄かったんだけれど、やっぱりそれが子供とかになかなか受け継がれなくて、現在は高齢化あるいは信者が亡くなるとかっていうんで、かなり勢力としては衰え始めてる、そういうところに特徴がありますね。
立正佼成会の有名人
有名な信者の方とかってどなたかいらっしゃいますか?政治家であるとか芸能人であるとか。
政治的には新日本宗教者連合会っていう、前にもお話したと思いますけど、
新宗連ですね。
新宗連。その新宗連の中心的な教団が立正佼成会なんですね。
日本会議…?
日本会議とは違うんです。どちらかというとリベラルで創価学会と対抗してるのが新宗連。楠さんという方が立正佼成会をバックに当選したっていうことがあって、ある程度政治的なものに影響力を持っていたという事が言えますね。有名人は誰かいたかもしれないけどすぐには思いつかない。
立正佼成会の読売菩薩事件
不祥事とか事件とかっていうのはどういったことがありますでしょうか。
これはですね、読売菩薩事件というのが。これは立正佼成会が周辺の土地をどんどん買ってったんです。
大きな施設を作らなきゃいけないからね。
そうです。それこそ僕らが野球してた空地をどんどん買ってったんで、立正佼成会は僕らにとっては、子供にとっては敵だったんです(笑)
地元の子供たちにとってはヘイトを買ってたということですね。
その時に、土地取得をめぐって不正があったんではないかっていう風に読売新聞が報道したんですね。ところが普通だったらメディアが自分たちを批判すると攻撃的になりますよね。創価学会もそうだし、幸福の科学も一時は。
攻撃されたら攻撃するみたいなね。
ところが庭野さんという人はその時に、読売新聞は菩薩であると。自分たちの行き過ぎを戒めてくれる存在であるという風に言って、攻撃もせずそれをむしろ受け入れたんです。
凄い穏健というか、良い人たちというか。
そこに僕は立正佼成会の一番の本質が示されてるんじゃないかなと。やっぱり創価学会の攻撃的なのに対して立正佼成会は穏健な教えで行くっていう、そこが際立ってたんじゃないですかね。
北風と太陽みたいなことですよね。で、我々は太陽みたいな風にやるんだという事で。高度経済成長の時は勢いがあったけれども、だんだん衰えつつあるっていう団体と。
立正佼成会の役割
一番の要因はやっぱり法座だと思うんですけど、法座っていうのは女性たちが中心にやるもので、悩みの中心っていうのはやっぱり嫁姑関係。今はあんまり同居することが少なくなってるので、嫁姑の対立もあんまりなくなってます。
やっぱり高度経済成長が始まった時代っていうのはどうしても嫁姑が同じ一つの家にいて対立するっていうのがあったんで、そのために法座っていう場はとても貴重だったんです。だけど時代が変わることによって、あんまりそういう対立、家の中での対立がなくなってしまったって事が、立正佼成会の役割がちょっと落ちてくるっていう、そういうことになっちゃうんじゃないですか。
立正佼成会の人口
立正佼成会が解決できた悩みがそもそも存在しなくなっってきたということが関係あると。人数って今どれくらいになるんでしょうか。
20年くらい前の統計では、立正佼成会の信者は日本全体の0.5%でした。
60万人くらいという事ですね。
60万人くらいが実数だったと思うんですね、20年前は。それがですね恐らく半減してると思います。
30万人くらい?
30万人くらいの規模じゃないですかね。
じゃあすみません、今日は色々教えて頂きましてありがとうございました。あんまり立正佼成会詳しくなかったんですけど、色々寂し気というか残念だなという…
だけど和田に行ってみると立派な大聖堂建ってますし、まだ普門館も壊してないので、それを見て頂くと。
建物があるうちに皆さんも遊びに言って頂いて。あんまり不祥事もなく危険な目に遭う事も少ないと思うのでそんな感じで宜しくお願いします。
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